どうもこんにちは、山田です。
最近ですが、(私の中では)ちょっとした事件が発生しました。
先日℃-ute解散コンサート公演のファンクラブ当落発表があったのですが、なんと私当選しておりました。
これまで大事な公演(たとえば道重さんの卒業公演とか)で何度も落選を経験してきた私としては、自力で当選したことがちょっとした事件といいますか、まぁびっくりしてしまった訳です。
今回はハロプロと℃-uteと私について記載したいと思います。
普段の私のブログは1記事大体1000~1500文字程度ですが、こちらは当ブログ比でおよそ3倍ほどのボリュームになっております。
℃-uteとは
℃-ute(きゅーと)はハロー!プロジェクト所属のアイドルグループです。
矢島舞美、中島早貴、鈴木愛理、岡井千聖、萩原舞の現在5人体制で活動しています。
2002年のハロー!プロジェクト・キッズオーディションに合格後、長い下積みの期間を経て、2005年にグループが結成され活動を開始、2015年のBerryz工房が無期限活動休止をしてからは最年長グループとしてハロー!プロジェクトを牽引してきました。
2017年6月12日をもってグループを解散することが決定しています。
℃-uteはかつてハロー!プロジェクト総合プロデューサーであったつんく♂氏から「ハロー!プロジェクト一のパフォーマー」と称されるほど、ステージでのパフォーマンスの完成度の高さが特徴。
コンサート終了後に数時間に及ぶ反省会を行うなど、パフォーマンスを高めるためのストイックさに余念がありません。
なかなか浸透しないので記載しますが、発音は英単語の「cute」ではなく、「給湯」と同じ平坦な音で発音します。
私が℃-uteを知ったとき
私が℃-uteの存在を知ったのは2010年の冬。
当時「美女学」というアップフロント(ハロー!プロジェクトメンバーの所属事務所)が利権を持ってたテレビ番組でモーニング娘。9期メンバーのオーディションを観ていたときに、℃-uteの存在を知りました。
9期メンバーオーディションの課題曲が℃-uteの「会いたいロンリークリスマス」でして、番組終わりにMVが流れてましたので、歌もそこで認知しました。
ただ、その当時私はこれからモーニング娘。9期として一体誰が加入するのか、という一点に意識が集中しており、率直に申し上げるとその時点では℃-uteにはあまり興味がありませんでした。
今思えば非常に勿体なかったと思います。
ハロプロあるある
そんな当時、モーニング娘。にしか関心がなかった私が何故℃-uteを好きになったのか、ざっくり説明したいと思います。
ハロプロにはまる方って全員ではないと思うのですが、大体の方は彼女たちのパフォーマンスを見てはまるパターンが多いと思うんですね。
私の場合は全部きっかけがYoutubeでして、
2010年夏 LOVEマシーンをきっかけに、当時(プラチナ期)のモーニング娘。にはまる
↓
2010年秋 モーニング娘。9期オーディションをおっかける
↓
2011年2月 「Kiss me 愛してる」ミュージックビデオ(通称MV)公開……℃-uteは特におっかけてなかったが、曲が非常に耳に残って気になり、ライブパフォーマンスを中心に動画の見漁りを始める
↓
その結果、℃-uteすげぇぇぇ!!!となり、はまる
℃-ute 『Kiss me 愛してる』 (Dance Shot Ver.)
以上の一通りの流れを経て、℃-uteのCDを購入したりコンサートに出没したりするようになりました。
私の℃-ute初の現場は「世界一HAPPYな女の子」CD発売記念イベント。
℃-ute 『世界一HAPPYな女の子』 (Dance Shot Ver.)
「世界一HAPPYな女の子」で初めて℃-uteのCDを買って、抽選のイベントへ応募、当選して参加しました。
その時に℃-uteと握手させて頂きましたが、自分と同じ人間なのか疑わしいくらい、彼女たちはかわいくてきらきらしてました。
(中島早貴ちゃんの顔の小ささと、「やけど大丈夫?」と彼女に話しかけて返答に困らせてしまったことだけは、よく覚えてます。あとは忘れてしまった…)
しまいにコンサートが見たくなり、その翌年2012年の春ツアーにも行きました。
℃-uteに見事はまってました、ベリキューではもろ℃-ute派でした。
こうして私はモーニング娘。単独のヲタクから℃-uteも推しはじめるようになり、時間をかけてハロー!プロジェクトを網羅し、ハロプロヲタク(略すとハロヲタ)になりました。
そんな私が現場から離れ、距離を置いた理由
これは℃-uteに限らず、私がハロー!プロジェクトの現場自体に足が遠くなってしまった理由になりますが、それはハロー!プロジェクト総合プロデューサーつんく♂氏の去就にあります。
2014年にハロー!プロジェクト総合プロデューサー退任の打診を受け、癌を患っていたこともあり、その打診を受け入れられています。
つんく♂氏のハロー!プロジェクト総合プロデューサー退任は2015年発売の手記「だから、生きる」の中で正式に明かされたのですが、そのころのステージの演出やら、CDの販売形態やら、発売された曲調の違いやらにもやっとした何かがあった私は、納得できない何かの理由が明かされたことで、ようやく腑に落ちました。
今までのハロー!プロジェクトから変わっていくんだな、と。
つんく♂氏が総合プロデューサーだった時代は、ああでもない、こうでもない、とみんな思い思いに言い合いながら、でもそれらも込みで楽しんでいた時代だと私は勝手に思っています。
「つんく♂の新曲がださい!ww」と贅沢なことが言えた時代があったけど、今後はそういうこともなくなるんだな、とか。
結局はつんく♂マジックによって最初はいまいち好きになれなかった曲も受け入れられるようになる不思議、もうこういうこともなくなるのかも、とか。
何だか色々考えましたね、この先ハロー!はどうなるんだろうって。
(そう思ったのは私だけではないでしょうけど)
結論から言いますと、今は様々な方がハロー!プロジェクトに協力して下さって、ハロー!プロジェクトは続いています。
中島卓偉さん、児玉雨子さん、三浦徳子さん、星部ショウさん、ヒャダインさん、津野米咲さん、大森靖子さんなど、素敵な作詞家・作曲家陣に楽曲提供をされている、すごい時代です。
曲自体のクオリティも高いですし、つんく♂氏だったらこんな感じの曲つくるんだろうなと想像できる曲ができたり、洒落っ気のある曲も増えたように感じますし、つんく♂氏ではなく、この方だからつくれた曲なんだろうな、という曲もあります。
つんく♂氏もハロー!プロジェクトの総合プロデューサーではなくなりましたが、定期的に楽曲を提供して下さっています。
でも、どうあがいても戻ってこないあの時代が恋しくなってしまう時があります。
そんな懐古厨になってしまった自分に気付き、自分が変わっていくものを完全に受け入れることができなかったため、ちょっと線を引くことにしました。
℃-uteから離れた理由は、以下大変個人的な意見になりますが2015年に発売された「我武者LIFE」を私が受け入れることができなかったことにあります。
「我武者LIFE」は今までほとんど℃-uteにはなかった完全外部の制作陣でつくられた曲で、メンバーが気に入っている大切な曲だから受け入れたい、と躍起になったときもありましたが、どうしても無理でした。
また、そのころ鈴木愛理ちゃんが髪を茶髪にしたことも個人的には非常にショッキングでした。
(ショックを受けた理由は自分でも気持ち悪いと思うので、ここでは割愛します)
え、そんなことで?気持ち悪いなと思われることは重々承知ですが、私は当時はそれを受け入れることができませんでした。
他にも気になる点があり、消化できないマイナスを気持ちがある状態で、かつ今までと同じ熱量を持って、℃-uteを応援し続けることは自分にはできませんでした。
以上のことから、私は℃-ute推しを自称しなくなりました。
そして今
今はアンジュルムを中心に、ゆるーくハロプロを見ている状態です。
現場へは年に数回、イベントもしくはコンサートに出没しています。
ちょっと話が飛びますが、2015年のBerryz工房のラストコンサートはずっと応援してきた方に参戦してもらいたいと思い、私はファンクラブに加入していたので(当選するか否かは別として)ラストコンサートへ応募自体はできたのですが、あえて応募をしませんでした。
で、ラストコンサートが終わってからやっぱり見に行けばよかった!と心の底から思ってしまいました。
自分で決めたことであるにもかかわらず、です。
前述のようなことがあったので、℃-uteのラストコンサートへは迷わず申し込みをしました。
ただ、ずっとどんなことが起きても℃-uteを支えてきた方がたくさんいらっしゃる中、私は途中離れて見ていて、最後の℃-uteを見ておきたいという気持ちで応募し、当選したというところがちょっと後ろめたく感じてしまい、こうして文字に起こしている訳です。
もちろん、自分が当選した裏には落選された方もいる訳ですから、予定を空けて参戦しますし、最後の℃-uteを目に焼き付けてくるつもりです。
℃OMPASSのコンサート映像をチラッと見ましたが、演出とパフォーマンスの融合と言いますか、ステージのクオリティが昔よりも上がってて、ちょっとぞわっとしてしまいました。
これ、生で見られるんだなと思って。
「夢幻クライマックス」なんて、発売当初は難しそうに歌っていましたけど、もうきっちり歌いこなしてる…恐るべし。
℃-ute『夢幻クライマックス』(℃-ute[Dreamlike Climax])(Promotion Edit)
℃-uteがいなくなった後は「ハロー!プロジェクト一のパフォーマー」はどのグループが引き継ぐのか。
そんなことを思いながら、今後もハロー!プロジェクトをマイペースに見守っていきます。